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第25回神戸ジャズサロン(20190825)「日本人のジャズ(戦前・戦後・現代)」①

August 26,2019

今回のテーマは「日本人のジャズ(戦前・戦後・現代)」でした。

初参加2人を含め計12人がお気に入りをリストアップされたことから、「次回持ち越し」となった会員もおられました。今回は4人のお気に入りをご紹介致します。

・Y瀬氏

今回も配布されたレジュメのコメントを編集せず記載致します。

「服部良一がいたお陰?!」
歌と言えば、「七つ釦は桜に碇」の予科練か「見よ落下傘」の空の神兵だったガキっ子が、10歳で終戦を 迎えた後にブギウギ(それより古くはブルース)のリズムを知り、やがて来るジャズの時代を楽しむだけの耳を持ち得ていたのは、この人・服部良一のお陰かもと痛感します。
①東京ブギウギ(福山雅治=元歌・笠置シズコ)②買い物ブギー関ジャニ∞=元歌・笠置シズコ)
③胸の振り子 (井上陽水=元歌・霧島昇)④別れのブルース(徳永英明=元歌・淡谷のり子)

ご紹介されたカバー楽曲については著作権の関係で音源を添付出来ませんので「オリジナル歌手」による音源(映像)を添付します。

「東京ブギウギ」

「セコハン娘」に変更しました。

「胸の振り子」

先月亡くなったジャーニー喜多川さんと「胸の振り子」のお話です。

こちら ▶️

「別れのブルース」

・T川氏

「南里文雄・北村英治・園田憲一・河合良一」をご紹介されました。

当日ご紹介された音源以外の演奏を添付しております。

Here is is 南里文雄(Fumio Nanri) with 宮間利之とニューハード Toshiyuki Miyama & New Herd play “Black And Blue”.

Here is 北村英治(Eiji Kitamura) with 北野タダオ & Arrow Jazz Orchestra play “Memories of You”.
北野タダオさんは昨年10月3日にお亡くなりになりました。

Here is 薗田憲一とディキシーキングス play “月の砂漠”.
(約50年前にラジオ神戸の電リクから録音された音源ですので、音質についてはご容赦ください)

河合良一さん(ニューオリンズ・ラスカルズのリーダー兼クラリネット奏者)の写真・音源(YouTube等)については下記理由にて添付致しません。

T川さんから「本日ご紹介した録音については河合さんの許可を得ています」との発言がございました。それ故、本ブログでは写真並びにYouTube映像等は添付しないことにしました。

・M氏(今回初めてのご案内です)

渡辺晋とシックスジョーズ (SHIN WATANABE’S SIX JOES)

本作品については下記サイトをご覧下さい。

こちら ▶️

ご紹介された「テーマ(九月の雨)」「黒い瞳」の代替として1953年(昭和28年)の演奏を添付します。

Here is 渡辺晋とシックスジョーズ (SHIN WATANABE’S SIX JOES) play “On The Sunny  Side of The Street”.
渡辺晋(b),松本英彦(ts),安藤八郎(vib),中村八大(p),宮川協三(b),南広(ds)

渡辺貞夫 (カクテルフォーツウー) with 八城一夫トリオ

ご紹介された「カクテルフォーツウー」「枯葉」は提供できる音源がございません。

尚、上記ご紹介に際し、参考とされた文献も教えて頂きました。

・F川氏

Here is 美空ひばりsings ”Shanghai上海”.
ブラインドフォールドテストとして出題されました。

Here is 三宅光子(マーサ三宅)  sings “My Melancholy Baby”.
北村英治,五十嵐明要,尾田悟,西代宗良,秋満義孝,永田睦雄,吉葉常雄,原田勇

Here is 八城一夫 Trio play “After You’ve Gone”.

大西教文「Guitar Man」をご紹介されましたが、ライブハウスでの演奏を添付します。

Here is 大西教文トリオ(NKT3) play “Tea for two”.

「魅惑のアルトサックス」アール・ボスティック(Earl Bostic)と渡辺貞夫

March 13.2018

Last Sunday I was listening to a radio program hosted by Sadao Watanabe(渡辺貞夫).

He was talking about the musician who was interested in the beginning.

First,he was fascinated by Earl Bostic’s timbre from “Far East Network”.

Photo by Amazon

先週放送された渡辺貞夫(以下ナベサダ)のラジオ番組で、ナベサダが最初に興味を持ったアール・ボスティック(Earl Bostic)について話していました。

ナベサダはFENから放送されたEarl Bosticの音色に魅了されたそうです。

Earl Bosticに関して一枚の写真を持っています。

この写真は大阪のジャズ例会でY瀬さんがEarl Bosticをご紹介された時に撮らせて頂きました。

(個人的に故野川香文氏のジャズ解説文を集めています)

この駄文を書きながら「Y瀬さんもナベサダと同年代だから、FENでEarl Bosticを聞いた」と勝手に想像しています。

Earl Bosticの話題から「ナベサダのデビュー時の思い出」について話題が変わります。

ナベサダは過去の放送でプロとしてのデビュー時の思い出話もしています。

占領下GHQのキャンプで仕事をするためには「芸能格付審査会」で格付を受ける必要があったそうです。

渡辺貞夫も宇都宮のバンド仲間と格付け審査を受けることにしたそうです。

「野川香文という高名な先生が来るので、審査前日に宇都宮で一番高級な鰻屋に招きました。

そして格付を取得して仕事ができました」

Earl Bosticから脱線したブログを書いてしまいました。

次回(3/25)、神戸ジャズ愛好会の持ち寄りテーマ「魅惑のアルトサックス」

Y瀬さんがこのレコードを神戸に持って来られると嬉しいです。

 

Here is Earl Bostic plays “Flamingo”.

Here is Earl Bostic plays “Swing Low Sweet Boogie”.

Here is Earl Bostic plays “I Can’t Give You Anything But Love”.

Here is Earl Bostic plays “The Moon is Low”.

以下、お時間があればお読み下さい。

芸能格付審査会(スイングジャーナル1949年12月号から引用・抜粋)

評論家の野川香文、紙恭輔、渡辺弘など日本人評論家や演奏家によって各バンドの等級が決められた 。

スペシャルA、スペシャルB,ABCDの6階級に格付けされた。

この格付けによって、進駐軍キャンフで仕事をする際のバンドの出演料が決まった。

第1回目は1949年9月20日、第2回目は10月31日

何故か宮沢昭(ts)は新S級と格付されています。

進駐軍でのジャズについて面白い記事がありました。

下記をクリックして下さい。

「東京散歩進駐軍ジャズの跡を訪ねて」

渡辺プロの記録も参考になります(15ページ)

渡辺プロダクションの誕生

JazzWaxさんによるEarl Bosticに関する記事

こちらをクリッククリックして下さい。

 

Shotaro Moriyasu(3)

February 17.2016

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At that time, Sadao Watanabe was 21 years old.

He was nine years younger than Moriyasu.

Moriyasu loved Watanabe as his favorite pupil.

The idol of Watanabe was Charlie Parker.

Watanabe had been listening in desperately Bird’s solo.

Unfortunately,he was not able to scacely understand Bird’s solo.

He could not caught chord progression and harmony.

On the one hand Moriyasu had listened to the Bird’s solo from the speakers of the jazz cafe ,and wrote down all chord progression and harmony at an music sheet.

After a few days, Watanabe received musical score from Moriyasu.

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Toshiko Akiyosi was talking about Moriyasu.

“We were not knowing well each other.
There was not the fact I had cried at the funeral.
I never got the musical score from Moriyasu.
Rather I was better to give the musical score to other musician.”

The author has interviewed other musicians except Akiyoshi.

At the time Akiyoshi was still immature about piano technique.
Her technique was a considerable difference than Moriyasu.
Received the news of Moriyasu suicide, she was crying was the fact.
She called him “older brother” with adoring.
She had been get musical score from Moriyasu.