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大阪ジャズ同好会第39回(2019年10月13日)「日本盤ヴィンテージ・シリーズの魅力」①

October 17,2019
担当 平野隆史

ビクターレコードはコロムビアレコードと並んでアメリカの二大レコード会社です。ジャズ史上に残る名演が「ヴィンテージ・シリーズ」に収録されています。1975年、日本ビクターがLP100枚からなる「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ」というシリーズを販売しましたが貧乏学生にとって全100枚の購入は諦めざるを得ない状況でした。そんな時中古レコード店で「日本盤ヴィンテージ・シリーズ」の存在を知りました。ジャズの知識が乏しい小生には油井正一氏による詳細な解説は大変役に立ちました。(現在では「講釈師見て来たような…」と思われる表現もありますが!)
今回は録音年月日順に14枚(15曲)を解説文(一部抜粋)と共にご紹介させていただきます。尚、本ブログでは特集(1時間)を2回に分けて投稿致します。

1.「ジャック・ティーガーデン(Jack Teagarden)」
Here is Jack Teagarden with Roger Wolfe Kahn And His Orchestra play “She’s A Great, Great Girl”.
Roger Wolfe Kahn And His Orchestra:Jack Teagarden (tb) A Arthur Schutt (p) Eddie Lang (g)Roger Wolfe Kahn (dir) (他)New York, March 14, 1928

ジャック・ティーガーデン(1905-1964)はジャズ史上最初に現われた偉大なトロンボーン奏者であった。白人でありながらブルースの真髄を会得していた。彼の歌は彼のトロンボーン・スタイルとそっくりであった。ルイ・アームストロングとジャック・ティーガー デンによって、ジャズ・ヴォーカルの最高のものは器楽奏者によ って生みだされることが立証された。彼の歌とトロンボーンは、最初の数音をきいただけで「ジャックTだ!」とわかる個性をもっていた。その点ではアームストロ ング、ジョニー・ホッジス、ビックス・バイダーベックに比肩する強い個性をもっていた。J.J.ジョンソンが現われるまでティーガーデンはジャズ・トロ ンボーン界のアイドルであった。そのJ.J.でさえいっている。「真の巨人はジャック・ティーガーデンであった」と。

2.「ヴァレンタイン・ストンプ/ファッツ・ウォーラー」
Here isFats Waller plays “Valentine Stomp”.
Fats Waller(p-solo) Camden, N.J. August 2, 1929

40年ちかくまえの録音とは思えない卓抜な録音で、フ ァッツ・フォーラーの至芸がきかれる。ジェームス・P・ジョンソンを開拓者とする「ハーレム・ピアノ・スタイル」の伝統をうけついだ傑作であろう。これは音楽的にファッツ・ウォーラーのエッセンスといえる作品である。

Bennie Moten and His Orchestra (Count Basieが左端に座っています),Photo by Library.umkc.edu

3.「カンサス・シティのカウント・ベイシー」
Here is Bennie Moten and His Orchestra plat “Small black”.
Bennie Moten and His Orchestra:Ed Lewis, Booker Washington (cnt) Thamon Hayes (tb) Eddie Durham (v-tb,g,arr) Harlan Leonard (cl,sop,as) Jack Washington (cl,as,bar) Woody Walder (cl,ts) Count Basie (p,vcl) Ira “Buster” Moten (p,accor) Leroy “Buster” Berry (bj) Vernon Page (tu) Willie McWashington (ds) Bennie Moten (dir) Chicago, October 23, 1929

原盤解説の書き出しは、マーチン・ウィリアムスによって 次のように書き起こされてる。
1932年12月中旬、大不況のさなか、ベニー・モーテン楽団のメンバーが、ニュージャーシー州キャムデンのビクター吹込所にやってきた。(中略)ベニー・モーテン楽団のメンバーは皆空腹をかかえ、沈み切っていた。リード奏者エディ・ベアーフィールドはこの時の模様を次のように語っている。
「誰もが一文も金は持っていなかった。アーチーという小男が準備してくれた兎肉シチューと四切れのパンのおかげで、ともかく餓死はまぬがれ、吹きこみをすませた。(中略)吹きこみが終ると、すぐカンサスに帰った。」この日、バンドメンたちがそんな苦境にあったようなことを示す痕跡は全くみられない。 素晴らしい音楽。シンから楽しげな演奏。 だが1932年にこうした演奏に耳を傾ける人はほとんどいなかった。アメリカ全体が大不況の嵐に包まれ、ホット演奏は見向きもされなくなっていたのだった。

4.「キング・オリバー・イン・ニューヨーク」
Here is King Oliver and His Orchestra play “St,James Infirmary”.
King Oliver, Henry “Red” Allen, Bubber Miley (tp) Jimmy Archey (tb) Bobby Holmes (cl) Glyn Paque (cl,as) unknown (cl,as) Walter Wheeler (cl,ts) Don Frye (p) Arthur Taylor (bj) Jean Stultz (g) Clinton Walker (tu) unknown (chimes-1) Carroll Dickerson (dir,vln-2) Frank Marvin (vcl) New York, January 28, 1930


三年ほどまえ、浅草の天ぷら屋でドイツの評論家ベーレント氏と「いったいジャズ史上最も早くグルーブ表現を心掛けたリーダーは誰だろう?」といいあったことを思い出す。(中略)
そこでぼくがいった。「ぼくはキング・オリバーだと思う」
「そうかも知れんがあまりにもブリミティヴすぎる」と彼は答 えた。 ぼくは何故オリバーと思うかを説明した。 ニューオリーンズにいた頃既にオリバーは最高のトランペット奏者であり、ジャズ王とよばれたフレディ・ケバードを吹き負かして王座についた男である。その話を聞くとオリバーはケバード以上にふてぶてしいトランペット吹きにきこえるがそうではない。 彼が残したどのレコードをきいても彼のラッパだけが他の一切を支配しているようなものはなく、つねに抑制と調和を保ちアレンジの中にとけこんでいる。こういう考え方こそグルーブ表現の基本であり、それ故にばくはオリバーを買うんだ………というところでこの話題は終り天ぷらをパクついたわけである。

5.「ストンプ・アンド・ジョイ/ジェリー・ロール・モートン」
Here is Jelly-Roll Morton and his Red Hot Peppers play “Little Lawrence”.
Jelly-Roll Morton and his Red Hot PeppersJelly-Roll Morton(p,dir) Bubber Miley, Ward Pinkett(tp) Wilbur de Paris(tb) Lorenzo Tio Jr.(cl) Bernard Addison(g) unknown(bj) Bill Benford(tu) Tommy Benford(ds) New York, March 19, 1930


ジェリー・ロール・モートンは(1885-1941)、ジャズの発生期に現われた名ピアニストであり、作曲家であり、偉大なコンボ・リーダーであります。彼はビクター・レコードに不滅の傑作を残しましたが、(1) コンボ・リーダーとしては、デューク・エリントンに比すべき 「グループ表現」に徹し、 (2) ピアニストとしては、後年のジョン・ルイスに比すべき「ヨーロッパ的形式」と「ジャズ」との本能的な結合感をもち、 (3) 作曲家としては、ラグタイムやブルースの比類ない音楽形式を、その全作品に盛りこんだのでありました。 この知的で、華麗で、感動的な音楽がどんな基盤から発生したものかを、ご説明しておきたいと思います。

6.「30年代のでデューク・エリントン」
Here is Duke Ellington and His Orchestra play “Echoes of the Jungle”.
Duke Ellington and His Orchestra(The Jungle Band):Freddy Jenkins, Arthur Whetsol, Cootie Williams (tp) Joe Nanton, Juan Tizol (tb) Barney Bigard (cl,ts) Johnny Hodges (as,sop) Harry Carney (bar,cl,as) Duke Ellington (p) Fred Guy (bj) Wellman Braud (b) Sonny Greer (ds) New York, June 16,1931


ニューオリンズに始まり、シカゴに北上したジャズは、小編成ジャズである。ところがエリントンやヘンダーソンは、ニューヨ ークという大都会の、規模の大きい職場で、10人以上の大編成によるジャズを演奏せねばならなかった。たしかに、ソロの部分をはじめ、至るところに、ニューオリンズ・ジャズの影響はある。 しかし、編曲を必要としない小編成と、オーケストレーションを必要とする大編成ジャズとは、根本理念がちがうのである。(中略)
デューク・エリントン自身が語る、「ぼくの楽器はピアノではなく、わがオーケストラなのだ」という言葉の意味がわかってくる。 キング・オリヴァーやルイ・アームストロングがトランペットで、ジョニー・ドッズやジミー・ヌーンがクラリネットという楽器で創造したものを、デューク・エリントンは、10数人を擁する彼のオーケストラで創造したのである。
要約すれば、デューク・エリントンは新しい音楽形式の創造者 であり、その第1人者としての地位を40年にわたって保ち続けている偉大な存在なのである。

Helen Ward 1916-1998 And Benny Goodman Photograph by Everett

7.「ベニー・グッドマン/スモール・グループ」
Here is Benny Goodman Trio with Helen Ward play “All my life”.
Benny Goodman (cl) Teddy Wilson (p) Gene Krupa(ds) Helen Ward (vcl)
Chicago, April 24, 1936


文字通り、スイング時代の絶頂期をうつしだしたグッドマン・コンボ の傑作集である。
昭和10年にふとしたキッカケで、ジャズを熱愛しだした私にとって、これらの1曲1曲には、いいつくせぬ思い出がある。現在50才前後のオ ールド・ファンにとっても、思いは同じことであろう。当時のビクター・レコードは、SPながら音質のいいシェラック盤で あった。ところが戦争が近づくにつれ、材質は悪化し、このアルバムで いえば、《張り切りおやじ》あたりからは、ザラザラと針音のする盤を買わされることになった。SP盤のレーベルわきには(特)とか(T)とかいう 刻印が打たれ、そのシルシのあるものは皆かなりゆがんだ音にプレスされたことを思い出す。《君に泣く》に至っては、ジョン・カービーのベ ースが、ほとんどきこえなかった。
今あらためて、最高技術で復元されたこのアルバムに接すると、30年あまり前の1曲1曲についての思い出が、昨日のことのように脳裡によ みがえってくる。この16曲は戦前に1曲のこらず日本盤のSPで出たが、その大半は今回はじめてLP化されたものである。

Photo above of Mezz Mezzrow, James P. Johnson, Hughes Panassie, Tommy Ladnier at the Victor studios by courtesy of TEDDY BUNN(JAZZ LIVES)

8.「パナシェ・セッション」

Here is Weary Tommy Ladnier plays ”Weary Blues”.
Tommy Ladnier, Sidney DeParis (tp) Mezz Mezzrow (cl) James P. Johnson (p) Teddy Bunn (g) Elmer James (b) Zutty Singleton (ds) New York, November 21, 1938


ユーグ・パナシェ(製作者)による「レコーディングの思い出」(中略)
1938年10月私は数枚のレコーディングを企画してニューヨーク に赴いた。私が企画したのはニューオリンズ・スタイルのジャズだった。」(中略)ジャズ史学者の中には、1938年頃にはもはやニューオリンズ・ ジャズは骨董品になっていたという人がいる。だがこれは大間違で、今世紀のはじめ頃生まれた偉大なミュージシャンたちは、まだ40才にもなっていなかったのである。彼らは皆音楽的にも健在だった。ただ色んなバンドに散ってニューオリンズとは関係のないジャズをやっていたのである。
ニューオリンズ・ジャズの花形は何といってもトランペット奏者だ。トランペットの安定した力強いアンサンブル・リードなくしては、典型的なニューオリンズのフロント・ラインが出来あがらない。トランペット奏者の選択こそまっさきに手をつけるべきこととは思っていたが、意外にむずかしいことがわかってきた。偉大なルイ・アームストロングは勿論最適任者だが、専属会社がちがっていた。もう一人の偉大なニューオリンズ・スタイル・プレイアーはトミー・ラドニアだが、誰に聞いても居所がわからない。ある者はとうの昔に故人になったといい、ある者は精神病院に収容されているという。(中略)
ニューヨークに着いた直後の一週間、私はトミーの所在をたずねまわったが、とうとうみつけだすことができなかった。 他のメンバーはすぐ揃った。 しかしどうしても手がかりがない侭数日が過ぎた。トミー・ラ ドニアを入れずにレコーディングするのでは出来栄えが半減してしまう、ということが目に見えていたので私は録音を延期した。ある晩メズロウが、ハーレム中をトミーを探して歩いてみようと提案した。夜中に探索がはじまった。7番街の端から端まで、ハーレム中 に知己をもつメズロウは店をのぞきこんで「トミー・ラドニアが何処にいるか知っている人はいないかい?」とたずね歩いた。約一時間ほど経った時、玉突き屋から出てきた男がメズロウのそばにくると「トミー・ラドニアの居所を知ってるよ。この手紙を出しにゆくところだ」といって一通の手紙を差しだした。私はその手紙に数年前パリで会ったことのあるパナシェだが是非会いに来てくれないか? とつけたした。トミーはニューヨークからほど遠からぬニューバーグに住んでいた。 3日後トミー・ラドニアはメズ・メズロウの家を訪ねてきた。 ニューヨークの喧騒にたえかねて数年前に小都会に移住し、トリオをひきい、トランペットの個人指導をしながら平穏な生活を送っていたのだそうだ。
発狂説もあったし、精神病院へ入れられているという説もあっ たよ、というと彼は答えた。
「発狂? なるほどそうかもしれない。だけどまだ精神病院には 入れられてませんでしたな」
彼は吹きこみの話に大いに乗り気であった。11月21日、上記の メンバーで2曲が吹きこまれた。《さあはじめよう》と《レヴォ リューショナリー・ブルース》である。

(使用音源)
1.Jack Teadarden(VRA-5019)
2.Fats Waller/Valentine Stomp(VRA-5020)
3.Count Basie/Count Basie n Kansas City(VRA-5008)
4.King Oliver/King Oliver in New York(VRA-5016)
5.Jerry Roll Morton/Stomp and Joys(VRA-5006)
6.Duke Ellington/Daybreak Express(VRA-5002)
7.Benny Goodman/The Small Groups(VRA-5026)
8.The Panassie sessions(VRA-5015)

以上

神戸ジャズサロン(2018年2月例会)

February 26.2018

神戸ジャズサロン会場 神戸居留地 高砂ビル 5階 「音楽サロン」

昨日「神戸ジャズサロン」(神戸ジャズ愛好会と会員は同じ)に参加しました。

今回のテーマは「昔、ジャズに惹き込まれたアルバム(演奏)」でした。ベテラン会員の方から面白い話が聞けとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

以下、ベテラン会員の方がお持ちになったレコード.CDをご紹介します。

1.Yさん(大阪ジャズ同好会でいつも素敵な選曲をされます)

Lionel Hampton All Stars ‎– The “Original” Star Dust
昭和29年、ご親戚の家でこの演奏をお聞きになったそうです。
いつもはCDしかお持ちにならないのですが、今回は「ご購入された4枚のSP」(上記写真)、「10インチ」「12インチ」をご持参されました。
曲が流れると「僕もこれ買ったで」とか「ラジオでよう聞いたな」と皆さん盛り上がってました。

2.Fさん

高校生の時の音楽クラブの顧問を故油井正一さんにお願いされていたことから、油井さんの思い出話をされました。
ご紹介されたCDは「THE AMAZING SHOICHI YUI VOLUME 2」 じ・あめいじんぐ油井正一 Vol.2
Kさんが配付された曲リストも上記に添付しました。

3.Tさん(トラッド愛好家で私が神戸の例会に参加して以降懇意にさせて頂いています)
日本コロンビアのHistory Of Jazz Vol.1を自作CDにされていました。(写真)
尚、昭和25年に発売されたSPも購入されていたそうですが、最初の赴任地を離れる際に捨てられたということです。

(1)King Oliver’s Jazz Band: High Society Rag Okeh 4933
June 22, 1923

又、神戸ACC(アメリカ文化センター)でのジャズレコードコンサート(解説故末廣光夫さん)の思い出話を披露され、印象に残った3曲を紹介されました。
(2)Jelly Roll Morton’s Red Hot Peppers: Original jelly roll blues
(3)Jelly Roll Morton’s Red Hot Peppers: Doctor Jazz
December 16, 1926

(4)Louis Armstrong And His Hot Five: Muskrat ramble
February 26, 1926

「末廣さんは須磨の放送局(現在のラジオ関西)での生放送の直後に多くのレコードを風呂敷に包んで、市電(現在は廃線)に乗ってアメリカ文化センターに来られていた」

4.Mさん(本例会の主宰者)
末廣さんのお兄さんに貸したまま、長い間返却されなかった「Vic Dickenson Showcase」
(1)Jeepers creepers
(2) Russian lullaby
Ruby Braff (tp) Vic Dickenson (tb) Edmond Hall (cl) Sir Charles Thompson (p) Steve Jordan (g) Walter Page (b) Les Erskine (d)
New York, December 29, 1953

Photo by KobeJazz Jp.

Mさんは若い頃からレコードコンサートの主宰をしたかったそうですが、その当時故末廣光夫さんから「レコードコンサートなんか止めとけ」と言われたそうです。
その後、Mさんが開始された例会には末廣さんは解説をされていました。

昭和29年12月12日 東京 日本テレビにて。
右から、鳥居則達(Vo)、大越泰三(Tb)、福井康平(Banjo)、小曽根実(p)、右近雅夫(Tp)、油井良光(Cl)、鈴木敏夫、?さん
Photo by courtesy of Kobejazz.jp

休憩中に最近お亡くなりになった小曽根実さんの写真をご覧になったTさんが「このクラ、油井さんの弟やで」と教えて頂きました。

最後に故油井正一氏がミュージックライフ(音楽誌)に故末廣光夫氏を紹介された記事を添付します。番組のテーマ音楽を聴きながらお読み下さい。

Good Time Jazz Record(3)

May 17.2017

Good Time Jazz label was located at 707 North Irving Boulevard in Los Angeles.

The label produced new releases and reissues, including recordings by Jelly Roll Morton, Bunk Johnson, Kid Ory, George Lewis.

Aaron_Copland_1970

Photo above of Aaron Copland by Wikipedia

Photo above of Gail Kubik by Wikipedia

Lester Koenig started also a label for classical music, Society for Forgotten Music (SFM).

When he worked with the director Wyler,he made friends with many of the composers such as Aaron Copland and Gail Kubik.

So Lester released “contemporary” classical music written by these composers .

In addition Lester contracted with Jesse Fuller who was San Francisco’s most famous musician in those days.

RecentlyI found an interesting photographs.

When Kid Ory was 67 old years, he recorded with his Creole Jazz Band in 1953.

Photo above of William Claxton by Wikipedia

William Claxton made photographs during the second recording session which took place at Capitol Studios in Hollywood in 1953.

It is noteworthy that a recording sound quality was high on the list.

Then high quality in sound recording was Koenig’s trademark.

I would like to post about Roy DuNann on another occasion.

William Claxton’s image by soundfountain.com

Good Time Jazzはロサンゼルス(707 North Irving Boulevard)で設立された。
又、クラシック音楽を専門とする「Society fo Forgotten Music」 も立ち上げました。
戦争中、Wyler監督と仕事をしていた時にAaron CoplandやGail Kubikのような現代音楽作曲家と親交があったことから、現代音楽シリーズも製作しました。さらに当時サンフランシスコで最も有名なミュージシャンであったJesse Fullerとも契約しました。
最近、レコーディングスタジオにおける興味深い写真を見つけました。
著名な写真家William Claxtonが1953年のKid Ory’s Creole Jazz Bandを撮影しています。
Lester Koenigが製作したレコードで注目すべきことは音質が非常に良いということです。
Lester Koenigが製作したジャズシリーズはBlue Noteシリーズと共に独特のサウンドです。
録音技師のRoy DuNannについては別の機会に投稿したいと思います。

Here is Kid Ory’s Creole Jazz Band play “Royal Garden Blues”.
Kid Ory (tb),Alvin Alcorn (tp),George Probert(cl),
Barney Kessel(g),Don Ewell(p),Ed Garland(b),Minor Hall(ds)
November 30 & December 2, 1954 Hollywood.

Here is Kid Ory’s Creole Jazz Band play “Blues for Jimmie Noone”.
Kid Ory (tb), Teddy Buckner (tp), Joe Darensbourg (cl), Lloyd Glenn (p), Ed Garland (b), Minor Hall (ds)  May 5, 1951

Here is Jesse Fuller plays “San Francisco Bay Blues”.
This song was made cover by Bob Dylan, and then Paul McCartney and Eric Clapton.

The biographies of “Bass clarinet” heroes(1)

April 27.2017

Bass clarinet appeared  in jazz bands in the early nineteenth century.

First we need to talk about Omer Simeon.

Omer Simeon was the most important bass clarinetist because he had played one of the earliest jazz bass clarinet solo.

Photo above of Omer Simeon by courtesy of Jazz Lives(July 6, 2013)

Omer Victor Simeon was born  21 July 1902 in New Orleans, Louisiana.

He learned clarinet from the New Orleans master Lorenzo Tio, Jr., and started playing professionally in 1920.

Please refer to about Lorenzo Tio, Jr. Go here

In 1926 he began playing with Jelly Roll Morton, and made some recordings with Morton’s Red Hot Peppers and smaller groups.

Photo above of Jelly Roll Morton by Image Ownership: Public Domain

The Red Hot Peppers are as hot as the best King Oliver and Louis Armstrong recordings, while the colors and subtlety of tone are as good as the bands of Bix and Tram.

Omer Simeon took the clarinet part for the very first set, recorded in Chicago on September 15, 1926.

Morton instructed Simeon to switch from clarinet to bassclarinet.

So “Someday Sweetheart” had one of the earliest jazz bass clarinet solo by Omer Simeon.

Omer’s tone is much more beautiful than many post-bop bass clarinet solos.

Louis Armstrong standing beside King Oliver. Photo courtesy of neajazzintheschools.org.

Bass clarinetは19世紀初めにジャズ界に登場した楽器です。
Omer Simeonは最初にBass clarinetのソロを演奏した。
Omer Simeonは1902年7月21日ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれた。
彼はLorenzo Tio,Jr.からクラリネットを学びました。
彼の師匠Lorenzo Tio、Jrについてはこちらをクリックして下さい。
1926年、彼はJelly Roll Mortonに出会い、歴史的な録音に参加しました。
Jelly Roll Mortonは”Someday Sweetheart”の録音に際し、ClarinetからBass clarinetへの切り替えを指示しました。
Simeonの音色はバップ以降のBass clarinet奏者の音色より遥かに美しいです。
Jelly Roll Morton and Red Hot Peppers の演奏はKing OliverやLouis Armstrongらの録音と比較しても劣っておらず、音色やアンサンブルはBix and Tram バンドと同等レベルでした。

Here is Jelly Roll Morton and Red Hot Peppers “Someday Sweetheart”.
Victor 20405-A matrix 37254-2

Here is Jelly Roll Morton and Red Hot Peppers “Someday Sweetheart”.
disc BRS 1001 matrix 37254-3

Art Hodes(1)

April 18.2017

Photo above of Art Hodes by courtesy of Blue Note Records

Recently I purchased the 10 inches record of BlueNote label.

It is “Art Hodes and his hot 7”.

Also last week Jazz Journalists Doug Ramsey introduced a television program hosted by Art Hodes.Go here

So I would like to post about Art Hodes.

Art Hodes was born November 14, 1904 in born in Ukraine.

When he was six months old few, his family settled in Chicago

In those days the pioneering New Orleans musicians came to Chicago in the 1920’s.

Louis Armstrong standing beside King Oliver. Photo courtesy of neajazzintheschools.org.

When he was in his late teens and early twenties, he heard some jazz legends’ performance such as King Oliver, Louis Armstrong, and Jelly Roll Morton and Earl Hines and Jimmy Noone in the nightspots of his city.

Eventually, Hodes played with Armstrong, and later with Wingy Manone, Gene Krupa, and Muggsy Spanier.

Photo above of Wingy Manone by courtesy of alchetron.com

Also he was fond of the blues, and was greatly influenced by Bessie Smith.

In 1938 he moved to New York and played with Joe Marsala and Mezz Mezzrow before forming his own band in 1941.

最近、BlueNoteの10インチレコード”Art Hodes and his hot 7″を購入しました。
同じ日に偶然、Art Hodesが出演していたテレビ番組がネットで紹介されました。
そんなわけで私はArt Hodesに詳しくないので、今回調べてみようと思いました。
Art Hodesは1904年11月14日に帝政ロシアのウクライナで生まれました。
幼少時に彼の家族と共にアメリカに移民しシカゴに定住しました。
当時のシカゴにはニューオーリンズから有名なミュージシャン達が来ていました。
彼は10代後半から20代初めにかけて、King Oliver, Louis Armstrong, Jelly Roll Morton, Earl Hines,Jimmy Noone などの生演奏を聞いていました。
又、Wingy Manone、Gene Krupa、Muggsy Spanier達と演奏をしていました。
彼はブルースも大好きで Bessie Smithからも影響を受けました。
1938年にはニューヨークに移ります。1941年に自己のバンドを結成する迄、Joe Marsala や Mezz Mezzrowと共演していました。

Here is Doug Ramsey’s post “Bud Freeman and Art Hodes on Jazz Alley.”

Here is Jelly Roll Morton and his Red Hot Peppers play “Dr. Jazz”(1926)